永吉こけし

Posted on 2013年8月7日

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依頼を受けての製作スタートした永吉こけしです。
素朴で単純な模様ですが、なかなか難しい…
そういった印象のこけしです。
店頭には置いておりませんので、
工房へいらして頂いた方、またはお問い合わせ頂いた方にお譲りしています。沢山はできませんので在庫があった時は
ラッキーな商品(?!)です(笑)

宮本永吉(1880~1951/明治13年~昭和26年) 明治十三年一〇月五日、岩手県西磐井郡山目村山目字東五代二に生まる。木地業宮本惣七・ナツの長男。 七歳で母死亡、一ノ関市川小路の伯父惣蔵の家に父と共に寄寓する。七、八年いて川端(地主町五四)に転居、二三、四年間木地を挽いた。大正八年父死亡、昭和一二年三月、道路工事のため立ち退き、下大槻街七に移る。このころはこけしをあまり挽かず、昭和一六年深沢氏来訪のころは柄杓を多く挽いていた。収集会に知られたのは昭和五年であるが、探訪記事は深沢氏のみのようである。鹿間が昭和一三年訪ねたときは実直な職人肌の人の印象をうけた。木地修行は父惣七につき、弟子はとらなかった。妻セツとの間にサキ、菊治、ツキ、ミヤの一男三女があったが、息子は誕生一ヶ月目に幼死し、ツキ、ミヤも同じく幼死した。昭和二六年九月二一日没。七二歳。
[作品] ホオノキの白地に墨と赤のみで描き胴は簡単な熊手のような菊花のみを赤で書き、この菊花の描き方が年代的に変化した。昭和の物は菊も惣七風に花弁を接して描き、ぼってりと六弁である。鬢は短く、眉間も狭くなって、おぼこいが情味は薄れた。一〇年代の遺品は少なくない。二〇年代の物はよくわかっていない。
[伝統] 鳴子系外鳴子系列。 惣助が宮城県玉造郡岩出山から出、鳴子へ行って修行、惣七、永吉と三代となっている。戸籍では惣七の父は惣内で惣七はその二男である。戸籍面に惣助という名前はない。いずれにしても三代ということは事実であろう。宮本型が鳴子のどの系列に連なるかは不明で問題であるが、外鳴子系列の典型的なものといいうる。 参考文献は、鹿間時夫・監修 『こけし辞典』(1974年/東京堂出版) より

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